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西中山さいちゅうざん妙福寺みょうふくじ

〒178-0064 東京都練馬区南大泉5-6-56
電話:03-3978-0111

住職:戸田了達

関連施設:妙福寺保育園/東京芸術学院/東京陶芸倶楽部「小榑会」/タウンテニス大泉学園

妙福寺は千年以上の歴史と伝統を誇る日蓮宗のお寺です。

妙福寺の歴史

 平安時代(嘉祥3年、850年)、天台宗の高僧慈覚大師じがくだいし円仁えんにんによってこの地に「慈東山じとうざん 大覚寺だいがくじ」が創建されました。

 鎌倉時代(元亨2年、1322年)、千葉の中山にある日蓮宗大本山法華経寺第2世日高上人がこの地を訪れ説法。地元の有力者高橋氏がこれに帰依し、この地に草庵を営み「要法下種山ようぼうげしゅざん 妙福田寺みょうふくでんじ」と名付けました。

 後に法華経寺第3世日祐上人が再びこの地を訪れ説法。この時付近3ヶ村がみな日蓮宗に帰依し、当時大覚寺の住職であった壽延法印じゅえんほういん(浅草寺学頭兼任)も日蓮宗に帰伏改宗しました。この際に大覚寺と妙福田寺が合併して「法種山ほっしゅざん 妙福寺みょうふくじ」となりました。以来、妙福寺の住職は代々中山法華経寺貫主が兼任してきたため「西の中山」と呼ばれるようになり、後に山号を「西中山さいちゅうざん」と改め、この地方の日蓮宗寺院の中心的存在となりました。

 天正年間(16世紀末)より徳川15代将軍徳川慶喜に至るまで21石5斗の朱印地を与えられ、京都の門跡寺院「村雲御所」から緋紋白袈裟着用の允許を受け、徳川家の祈願所として明治10年まで回向祈願をつとめました。

 尊神堂に安置されている鬼子母神は子育ての神様、また伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょうの作と伝えられる大黒天は開運の神様として、ともに広く信仰を集めています。

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