区民懇談会
[平成19年10月26日]
「練馬区の将来像を考える区民懇談会」をご存知でしょうか?
練馬区は将来どのような区になっていくべきか、 目指すべき将来像を検討する行政主催の会議体です。 この懇談会で示された将来像に沿って練馬区の基本構想が作られ 行政運営が行われることになります。
目標年次は平成30年代。 つまり今から10〜20年後の練馬区をイメージするのです。 どんな区になるべきか、皆さんはどうお考えでしょうか?
私は、私立保育園協会の推薦を受けて この懇談会の健康福祉分野分科会委員として出向しています。 果たして、この懇談会がどの程度効果のあるものなのか 正直なところよくわかりません。
懇談会の時間や回数が豊富にあるわけではありませんから 各委員から出てくる意見をまとめる方法は少々乱暴になりがちです。
担当の役人さん達は仕事だからやっているだけでしょうし、 これで区の将来像の骨格を決めていいの?と不安になります。
ただ、これまでにいくつか出向してきた区の会議は どれも同じようなものでした。 逆に言えば様々な分野から出ている委員が それぞれの立場で主張や意見を出し合うのですから、 多少乱暴、多少いい加減な感じでやらなければ まとめること自体できなくなってしまうとも考えられます。 そういう意味では、これで良いのかな・・・。
もちろん、こういう会議が全く無くなってしまったら それはそれで非常に怖いです。
議員任せ、役人任せではやっぱりいけません。 区民一人一人が声を出して区の骨格を検討し、 それに基づいて政策が実施されていく。 それはとても大切な、というか、 とても当たり前の仕組みなわけです。
さまざまな制約がある中で、少しでも良い将来像を 示せるよう、微力ながら頑張りたいと思います。 健康福祉分野、特に子育ての部分でご意見やご要望、 将来望む姿などありましたら、どしどしお聞かせ下さい。
「こんな地域にしていきたい」 「ここがこんな仕組みになっていたらいい」 「こんな場や制度が欲しい」 「こんなところに満足している」など、何でも結構です。 皆さんから意見をいただきましたら、会議にしっかりと 反映させたいと思います。
現在の世の中は、働きながら子育てするお母さんを 支援する対策ばかりが叫ばれているような気がします。 それは言わば経済優先の考え方で 本当の意味での子育ての支援ではありません。 私は、もっと根本的なところで 親が子育てに生き甲斐ややり甲斐を 感じられるような社会、 無理なく子育てに集中できる社会、 子育てに深い幸せを感じられるような雰囲気、 みんなが子育てをどんどんしたくなって、 それを社会全体が温かく見守る、 そういう社会にしていかなければならないと思っています。
そのためには、資本主義社会の中で 経済性とか経済的価値を常に優先しがちな私達自身の 価値観そのものを変革していかなければならない ということが、大前提としてあるわけですが。 月1回の会議、頑張ってきます。
運動会
[平成19年10月15日]
今月6日(土)、秋季大運動会が開催されました。
前日の夜、雨が降って心配したのですが、 当日は雨も上がり、暑すぎず寒すぎず 素晴らしい運動会日和となりました。
今年は全体的に少し仕上がりが遅いような 気がして心配していたのですが、 本番が近づいてさすがに子供も先生も気合が入ったのか、 すばらしい仕上がりで当日を迎えてくれました。
子供達はどの子もみんなはりきって キラキラと輝いて見えました。 特に年長さんは難しいマスゲームや組体操で ピリリと引き締まった演技を見せてくれ 会場を沸かせていました。
妙福寺は伝統的に規律やケジメを大切にしてきました。 また、集団での行動・活動をとても重要視します。 その保育方針、園風が運動会にはよく表れます。 組体操や鼓笛隊(運動会の時期の鼓笛隊はまだまだ未熟ですが) などを見てもそれがわかるような気がします。 でもそれが良いのかどうか、議論になることもあるのです。
今の保育界は、子どもの自主性や自発性を大切にし、 自分たちで想像力を働かせて何かを成し遂げること、 またその過程をとても大切にしています。 そんななかで、自由保育よりも一斉保育を基調とし、 なおかつ鼓笛も一生懸命やっている我が園は 「?」の目で見られてしまうことがあるのです。
一斉保育は子どもの自発性や自主性、想像力などをスポイルする、 鼓笛は先生が血眼になって指導し子どもに苦痛を強いる、 などというイメージがあるのかもしれません。
でも私は運動会での子ども達の様子を見るたびに、 「うちの基本路線はこれで良し。」ということを思うのです。
緊張感を持って一つの舞台を立派に成し遂げ、 満足げで誇らしげな子ども達の輝いた表情を見るたびに、 ここにもたくさんの大切な物がある、と感じるのです。 要はバランスなのかも知れません。 自由保育であれ一斉保育であれ 行き過ぎればマイナスもたくさん現れます。
自主性、自発性、想像力。それらは非常に大切です。 妙福寺だってそれをとても大事にして保育に取り組んでいます。 でも、それと同時に、同じレベルで大切にしているのが 調和や協調性、皆がやるべきときはやるといったケジメです。 社会で生きていくためにはこれがどうしても必要なのです。
さまざまな力によって自分がこの世に生かされていることへの感謝。 たくさんの人に迷惑をかけながら生きている、 逆に、迷惑をかけないと生きられない自分という存在への認識。 それらがベースにあって初めて自主性や自発性、想像力の 素晴らしさ、大切さを語れるのではないでしょうか。 それがなければ、ただの自分勝手になってしまいます。
常に謙虚で、感謝や敬いの心を忘れず、 よく協力し助け合い、いつものびのびと明るい人になる。 それが妙福寺の保育の目標です。
少し話が飛躍し過ぎたかもしれませんが、 運動会の時はいつもそんな事を考えてしまうのでした。