お泊まり保育4
[平成30年9月23日]
お泊まり保育報告、最終回です。
午前中の境内ビンゴゲーム&散歩が終わり、いよいよお泊まり保育も大詰めとなった頃、外は雨が上がり、なんと青空まで見えてきました。まるで楽しかったお泊まり保育を祝福してくれるかのように、花壇の緑がキラキラと輝いています。ヲイヲイ。笑
子供達はテラスで絵本を読んでもらっています。題材はスイカ。スイカを叩いてボンボンボン。その音で中身の出来具合を当てることができちゃうスイカ爺さんのお話。興味津々で聞き入っている子供達です。
今年の年長は、給食で食べたスイカのタネをプランターに植え一生懸命お世話して育てていました。やがて芽が出て花が咲き、順番に3つの実が生ったのですが、次々と腐ってダメになり、結局あの最後の一つもその後うまく育たずダメになってしまいました。まぁ育て始める季節が遅すぎたということも大いにあるとは思いますが、とにかくたとえ小さくても皆で育てたスイカを分け合って食べることを楽しみにしていた子供達は残念無念です…。でも、その様子を見ていた担任が素敵な提案をしたようです。それは、育てたスイカを食べることはできなかったけれど、代わりに今回のお泊まり保育でもう一度大きなスイカを買ってもらってみんなで食べよう!ということです。それで一つの区切りというかケジメというかがつきますし、きっと子供達の気持ちも晴れ、心がスッキリするでしょう。
そして、食べたスイカはとても甘くて美味しいスイカでした。今年最後のスイカかもしれません。
ところでこの日、最後の頃にちょっと良いなと思えるシーンがありました。
土曜保育で登園していた年中児が、雨上がりの園庭でストライダーに乗りスラロームをしています。グルグルと何度も何度も繰り返しながら上手にコーン(バケツ)を左右にすり抜けていきます。そしてその子供達がストライダーを運転しながらこんなことを口ずさんでいるんです。「フレーフレーあかぐみ、ガンバレガンバレしろぐみ。」
ちょうどその時、干し芋を貰うためにテラスに年長が並んでいました。そして並びながら年中のストライダースラロームを見つめ、あれやこれやと歓声や野次(?)を飛ばしています。
これはとても良い光景でした。なぜかと言うと、実は今年の運動会で年長がストライダーのレースをする予定があり、最近園庭でその練習をしていたようなのですが、その様子を年中の子達がどこかで見ていたのだと思います。自由遊びでストライダーに乗った子達が、お泊まり保育のために園庭に張っていた青テントの所までやってきて、柱の周りをグルグルと走り始めたのです。それを見ていた土曜保育の職員(うまい具合に年中の担任でした)が、それならということで近くにバケツコーンを並べて小さなコースを作ってあげました。そうしたら、それを子供達は延々と回り続けて遊んだというわけです。あの応援の言葉を口ずさみながらです。
これは「憧れ」ですね。年中の子供達は年長のストライダーレースを端で見ていて、その姿に憧れていたのだと思います。彼らの頭の中は、きっと完全に年長さんのストライダーレースのイメージ、そしてそれを応援している誰かのイメージだったはずです。そして、それをまた年長児がたまたまテラスから目撃し、自然に審判が始まったというわけです。
こうやって遊びが伝承され、チャレンジが生まれ、そしてこうやってまた次の遊びが生まれていくのです。お泊まり保育と直接の関係はないですが、すごく嬉しく胸にジーンとくる光景でした。
さて、最後の食事が終わりお迎えの時間となりました。お父さんお母さんの顔を見て笑顔で飛びつく子、泣いてしがみつく子、色々でした。昨晩のキャンプファイヤーの辺りからちょっぴり寂しくなってしまった子もありましたが、たっぷり遊んだせいか昨晩はどの子も寝つき良く、十分に楽しく過ごせた一泊二日でした。
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真夏の園舎 → 軽井沢の森でのキャンプ(テント泊) → 真夏の園舎でのテント泊 → 秋の園舎でのテント泊。振り返ってみると、この約10年の間にうちのお泊まり保育は大きく変化しました。以前は夏期保育中の一大イベントといった位置付けで、お風呂屋さん、夕食作り、キャンプファイヤー、ゲームやスタンツ、夜の肝試しなど、企画が盛りだくさんでした。先生達の気合が真夏の1泊2日をさらに熱くする!みたいな感じです。
「園に泊まること自体がとても特別なこと。」
これはどこかの研修会で他園の先生が発した言葉です。それが今でもすごく心に残っています。ちょうどその頃、自園の保育のあり方を根本から見直していきたいと感じており、その言葉をきっかけにというわけではないですが、お泊まり保育での盛り上げ企画を少しずつ取りやめるようになりました。肝試しをやめ、ゲームやスタンツをやめ、と言った具合にです。
子供と楽しい時間を過ごしたいと思うと、大人はつい気合が入って色々と企画を考え始めます。そしてそのために事前に作り物をしたり何か練習をしたりということが増えていきます。過去の例と比較してより一層楽しくなるようにと、年を追うごとに派手になったり大掛かりになっていくこともあります。それはそれでもちろん楽しいことではあるのですが、それって果たして本当の「保育」なのでしょうか?
保育は教育です。子供の命と安全を守り、子供の自ら学び育ち伸びていく力を支え広げ深めていくのが「保育」という名の教育です。そのために大人は様々なことを考えなければなりません。子供が今何を感じ、何に興味を持ち、何に夢中になり、何にチャレンジし、何を知っていて、何を知らなくて、何ができて、何ができなくて、何に自信があって、何に自信がなくて、どんな環境設定が彼らの感覚を更に刺激し、どんな言葉がけが彼らのやる気や興味を促していくのか。子供が自己肯定感を持ち、思う存分探求し、チャレンジし、試行錯誤し、達成感を味わい、時にはちょっぴり悔しさを味わい…。そういう場をどうやったら作れるか。そのことを保育者は常に深く考えるのです。これは、イベントの盛り上げ企画を考えることとは全然違います。大人が考えたものを子供に押し付けるのではなく、子供自身の中から湧き出てくるものに気づき、寄り添い、一緒に歩くのです。
派手なお祭りで子供を盛り上げることができると、保育者の中にある種の達成感のようなものが生まれます。子供を喜ばせることができた自分に満足するわけです。そして自分はいい保育をしている、と勘違いしてしまったりします。でも実は子供の本当の声を聞くことができていなかったり、子供の本当の姿を知らなかったり、見ようとすらしていなかったりすることがあるのです。これはとても危険なことです。
子供の主体性を大切にした保育というのは、実はとても難しいことなのです。保育者の実力が深く問われます。子供を見る目、物事を受け止める感性、環境を工夫するための引き出しの多さなど。保育者の力が足りなければ「子供の主体性」を看板にした放任保育になってしまうこともあります。だから逆に行事やイベント主義のような保育も生まれてくるわけです。それは保育者に力がなくてもある程度の形を作ることができますし、それによって目に見える成果を得ることができ、大人(保育者も保護者も)も満足し安心できるからです。でもそこには子供の主体的な関わりによる育ちはほとんど無く、大人が一方的に提供する楽しい時間をただ受け取るだけという場合がよくあります。
過去の私たちの保育が悪かったと言うのではありません。子供一人一人を見つめる丁寧で温かい保育をずっと大切にし実践してきたという自負はあります。でも何かちょっと忘れていたり置き去りにしてきたものがあるかも知れないと、10年ほど前にとにかくそれを一度ゼロから見つめ直してみることにしました。職員一丸となって子供の主体性を大切にする保育とは何かを模索してきたのです。その結果大きく変わってきたものの一つが、このお泊まり保育だったわけです。
雨に降られ園内での自由遊びが主となった今年のお泊まり保育。それは、これまでの日々の園生活の中で担任の様々な工夫があり、その中で子供達の主体的な遊びが深く展開され、それらの積み重ねがあったからこそ成り立つものです。実に充実した2日間でした。
私達人間は、生きていく上で様々なことに出会います。それは嬉しいことや楽しいことだけでなく、苦しいことや嫌なことにも出会います。でもその出会ったことと共に歩きながら結局自分で自分の道を作っていくしかありません。自分を幸せにするのは自分自身です。どんなことに出会ってもいつも前向きで明るく、幸せに歩ける人を育てたいのです。そのためには、その子をいつもそばで見守り、その子のありのままを受け止め応援する大人がいなければなりません。その守りの中で子供はのびのびと自分を試し、友達と関わり、悩み葛藤し、納得をしながら一歩一歩進んでいくのです。
自分に自信を持ち、出会った物事や出会った人々と共に歩き、いつも人々を幸せにし、そして自分も幸せに生き抜くことができる人。私達はそういう人を育てる保育園、そういう人間の心の根っこを育てる保育園でありたいです。それが妙福寺保育園の保育の理念です。
なんだかお泊まり保育で変に熱くなってしまいました。なんのこっちゃ?と思われるかもしれません。でも、今私の中から湧き出ている思いを、とりあえずここに書かせていただきました。
さぁ、また明日からがんばろー!(^0^)
ブイブイ!
おしまい。