おひがん
[平成27年3月21日]
今日は春分の日、お彼岸のお中日です。
一般的に、私たちの生きているこの世のことを此岸(しがん:こちら岸)、亡くなった人たちのいるあの世のことを彼岸(ひがん:むこう岸)と呼び、その間には三途(さんず)の川が流れていることになっています。でも本当は、此岸というのは迷い多き煩悩の世界のことを指し、彼岸というのは迷いの無くなった清らかなさとりの世界のことを指すのです。この世とあの世ということではありません。
本来、さとりは生きながら実現していくべきものです。でも、おねはんの記事でも書いたように、迷い多き人間は死んで肉体が消滅してようやく本当のさとりの世界に至ると考えられてきました。なので亡くなった人の世界=さとりの世界であり、あの世=彼岸とされてきたのです。
お彼岸にはお墓参りをしてください。お彼岸は先祖供養の強化月間みたいなものです。誰にでも先祖がいます。その数は数え切れませんし、顏も名前も分からないことがほとんどです。でもその一人一人が、今の私達と同じように日々を懸命に生き、縁をつなぎ命をつないだ結果として私達がここにあります。
人は皆自分の力で生きていると思いがち。でも、そもそも先祖がいなければここに生まれていません。今の子ども達だって、パパやママがいなかったら生まれていないし、そのパパやママだって同じです。そして、パパママが子ども達の健やかな成長と安らかな日々を祈るように、パパママも先祖からそう祈られてきたのです。先祖の縁や力があって今がある。そのことに気づくと、今この世で自分が出会う様々な人々の縁や力にも気づくことができます。自分の力で生きていると思っていた私は、実はたくさんの縁に「生かされ」ていたのです。
お墓参りをすると、そんなことが頭に浮かんできて「俺が、俺が」という我執の心が少しずつほどけていきます。そして「お蔭さま」という感謝の心が芽生えてきます。わがままな自分を懺悔して、感謝の心で日々を安らかにしていくことができるのです。目に見えない先祖へ思いを馳せることは、結局、今の自分を見つめ直すことになります。それはまさにさとりの一歩。彼岸のお墓参りが、同時にさとりへの近道になっているというわけです。
お彼岸には子ども達と一緒にお墓参りをして、先祖の前で静かに手を合わせましょう。そして、そこから日々の生活を安らかな良いものにしていきましょう。それが、寺の住職であり保育園の園長である私の、皆さんへの願いです。